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辺見えみりさんのプロフィールと画像集

辺見えみり

辺見えみり
ヘンミエミリ
【生年月日】1976年12月16日
【身長】166 cm 【スリーサイズ】85(D)-58-87
【血液型】B
【出身地】東京都

辺見えみりさんの画像は111枚あります。

【更新日】

中学の頃、渋谷の美容室で髪を切ってるところ、たまたま居た芸能プロダクション関係者からスカウトされ芸能界入り。その流れで芸能プロダクションオフィスメイと契約を結ぶ。
1993年、ドラマ『いちご白書』でデビュー。その後、数々のバラエティ番組に出演。1995年10月よりレギュラー出演したバラエティ番組『スーパーJOCKEY』にて毒舌キャラでブレークする。いわゆるバラドルとしての人気を得る。
1995年12月7日放送の、『マジカル頭脳パワー!!』で、720点で初出場初優勝の快挙を成し遂げた。
2001年3月31日放送の、『オールスター感謝祭'01春超豪華!クイズ決定版21世紀最初の特大号』でも、47問3:29.29で初出場初優勝の快挙を成し遂げ賞金303万円を獲得した。
1年からバラエティ『ワンダフル』の3代目司会者を務め、先代の原千晶や立河宜子とは異なったクールな司会で注目を集める。翌2002年、4代目司会者となる白石美帆の出演開始後も、約半年間にわたり司会を担当する。
2006年1月25日の『笑っていいとも!』出演時に、「過去にCDを出したが、デビュー曲がオリコンの100位以内に入らずヒットしなかった。歌手としてはうまくなかった」という説明があった。実際は、1994年から1997年の間にシングル9枚とアルバム2枚を出しており、そのうち7枚目のシングル「流れ星」(スピッツの草野マサムネが楽曲提供)は、オリコン初の100位入り最高49位を記録している。
2013年にベイクルーズ傘下のアパレルブランド「Plage」(プラージュ)を立ち上げ、同年3月にインポートウェアを中心としたセレクトショップを東京・代官山にオープン。2018年3月末の退任まで5年にわたり同ブランドのコンセプターを務める。
2013年の出産を境に仕事を控えてきたが、育児が落ち着いた2017年12月、やはりバラエティ番組をやりたいとの思いから、24年半続いていた兄・辺見鑑孝が社長を務め母・辺見マリも所属する辺見プロモーション(キャストコーポレーション業務提携)から、『スーパーJOCKEY』で出会って以来面倒を見てもらったダチョウ倶楽部らが所属する太田プロダクションへ移籍。

私生活

2005年10月の日本テレビ系『ダウンタウンDX』での共演で意気投合したお笑いタレントの木村祐一と、11月末の5回目のデートでプロポーズを受け、翌2006年1月9日に婚姻届を提出し結婚。同年4月9日に木村の出身地・京都の京都ブライトンホテルにて挙式した。
2006年1月に木村との結婚を発表。木村の妻という理由で、ロンドンブーツ1号2号の田村淳からキム姉(キムねえ)と呼ばれていた時期がある。なお、芸人仲間では、木村の「5回戦のうちの3回戦目」であると、離婚を前提とした結婚であるというネタにもなった。
2008年4月25日に木村祐一と離婚。婚姻中に木村との不仲説が流れたこともあったが、インタビューの際には報道陣に対して強く否定していた。2011年7月16日に発売したエッセーの中で離婚の真相を赤裸々に明かした。
2010年5月の舞台『罠』での共演を機に交際していた俳優の松田賢二と、2011年3月8日に婚姻届を提出し再婚、同年6月8日に東京・明治神宮にて挙式。
2013年1月8日に妊娠5カ月であることを発表。また、実父の西郷と当時の夫である松田らと大変喜んだ。なお、安定期に入るまで関西などの番組を欠席していた。後に父の西郷はマスコミに対して、同年の7月4日に出産予定であると公表する。5月3日に自身のブログにて、歌番組の収録を最後に産休に入ったことを公表する。なお、自身がプロデュースする店については継続するとのことである。6月8日、山王病院の検診、そのまま入院後に体重3054gの第1子となる長女を出産。結果的には出産予定日より早まる形で生まれたが、「産まれた瞬間、我が子を抱っこして…嬉しくて涙がとまりませんでした。こんな素敵な気持ちは初めてです」と幸せな思いをつづっている。なお、夫婦そろってそれぞれのブログに親子三人での写真を掲載しており、西郷にとって初孫である。
2018年2月25日にブログを通じて松田との離婚を発表。

人物

  • 視力は左右ともに0.03で、普段はコンタクトレンズを使用している。自宅ではメガネをかけることが多い。
  • 4歳の時に両親が離婚。母親に引き取られたが、母親から「父親も芸能人で、名前に西の付く、歌を歌っている人」としか教えられていなかった。当時、父親の西郷輝彦は歌手活動よりも時代劇に力を入れていたため、歌手としてブレイクしていた西城秀樹が父親であると思い込み、テレビで西城秀樹を見ると「この人がお父さんか…」と思っていたという。
  • 容赦ない毒舌である。また、かつては相手の年齢に関わらず人に指をさす癖があった。芸人に対して特に容赦ない物言いが売りの辺見だが、島田紳助だけには頭が上がらなかった。紳助と共演すると毒舌が影を潜め、格段におとなしくなっていた。また、紳助とは電子メールのやり取りをするメル友であったり、紳助の芸能活動自粛の際には連絡をとりあっていた。
Wikipediaより
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